沖縄と名古屋のお土産
こんばんは、平田です。また今日も午後、スコールのような雨が降りましたね。晴天でも夕方に一時雨。このパターンにはもう慣れました。
コロナでなかなか旅行に行くことができない中、行動制限のない夏休みに大学生の次男が8月末から友達数人と旅行に行きました。
聞いていた行先は確か沖縄だったはず。
でも昨日旅行から帰ってもらったお土産は、沖縄のちんすこうと宮古そば、そしてなぜか名古屋の煮込みうどんとプリンタルトでした。
どうやら一旦那覇空港に着いたものの、台風がやってくる前に急遽名古屋に旅先を変更したそうです。
おかげで沖縄と名古屋のお土産をいただくことができました。
ランチ
坪井です
久しぶりに妻とランチをしました。
2階の大きな窓からは
江坂公園が見え店内は開放感があります。
お腹はいっぱいになりませんでしたが
たまには景色を楽しみながのランチも
いいものだと思いました。
不器用
こんばんは 松下です。
実家でクレープ作りに初挑戦!
生まれて初めて生地を焼きましたが思いのほか難しく、不器用な私は穴だらけの生地を大量に生み出してしまいました。
穴だらけの生地でも包めば一緒。フルーツやおかず系など、好きな具材を巻いて食べました。
前方後円墳!
私が子供のころに堺の上野芝という所に住んでいました。
そこの近くには数年前に世界遺産に登録された百舌鳥古墳群が有りました。仁徳天皇陵・履中天皇陵等が有り、以前から前方後円墳には興味が有りました。
ただどちらのお墓も中に入ることが出来ません。
最近高槻に前方後円墳が公園になっている『今城塚古墳』
が有る事を知り行って来ました。
同じ敷地に『今城塚歴史観』も有り古墳の事が詳しく説明されています。
緑も多く、ハニワが沢山有ってよい所でした!
夏の思い出
こんばんは 松下です。
暑さもピークに比べれば少しは過ごしやすくなりましたね。
特に朝、夜はかなり気温も下がりエアコン無しでも過ごせる日が増えました。
ところで今年の夏休みはどのように過ごされましたか?
コロナが流行してからというもの様々なイベントが中止になりほとんど出かける機会がなくなっていましたが、数年ぶりのイベントがたさくん開催され夏の思い出を作ることができました。
【ディズニー・オン・アイス】【保津川花火大会】に行くことができ、娘も初めて目にし、目を輝かせるとはこういうことなのかと幸せな気持ちになりました。
何かと制限が厳しい時はしんどかったですが、その時期があったからこその感動があったかと思うと悪いことばかりではないかもしれません。
妻のランチ
坪井です
先日、妻が津雲台のkfleursさんという
アトリエでのイベントに行ってきました。
春巻きの中には、大葉やコーン、オクラなど
普通の春巻きには入っていない食材が入っていて
不思議な食感だったということでした。
その中でも蓮に包まれたちまきは、ミョウガが
とても美味しかったそうです。
我が家の食卓にも出てこないのかと尋ねたところ
出てくることは無いという事でした。
強化と緩和
松下です。9月1日より【不動産公取規約】が改正されることとなりました。
皆さんが目にされる不動産広告のキャッチコピー。どこの会社も同じような言回しが多いと思いませんか?
実は、色々な規制の元、使っていい表現とダメな表現があったりします。(例:良好⇒〇 抜群⇒×)
今回の改正点で最も大きなポイントは物件から駅やスーパー等の施設までの距離や時間に関する表記についてです。
例えば全6棟あるマンションの1部屋を広告する場合、マンションの敷地内からの距離や時間を表記していましたが、最も近い棟と最も遠い棟からの時間や距離を表記しなくてはならなくなりました。(例:山田駅まで徒歩5分から徒歩8分)
今まで制限があることが出来るようになったり、今まで出来ていたことに制限が掛かったりと、慣れるまで時間がかかりそうです。
久しぶりの「夏」らしさ
今日は淀川花火大会。
ラッキーなことに自宅からは伊丹の花火と千里万博公園で打ち上げられていた花火も同時に見ることができました。
そう言えば、ドーン!ドーン!と大空に打ち上げられる花火を見るのはいつ以来なんだろうか?
華やかな花火の後の静寂の中、遠くから聞こえてくるジージー、ジージー、という虫の声。
もうすぐ9月なんですね。
晩夏の花火で久しぶりに「いつもの夏」を感じることができました。
←写真はあくまでもイメージです
壮絶な体験話
こんばんは、平田です。今日は8月23日。まだまだ蒸し暑い日が続いていますが、少しずつ日が暮れるのが早くなり、空を見上げれば、真夏の雲から秋の雲に変わりつつありますね。
今日の午前中、千里丘の銀行で売買のお取引をしました。出席された沖縄出身の売主様の奥様は89歳。お取引の合間に壮絶な沖縄での戦争の体験話を聞かせていただきました。
昭和20年の終戦当時小学生だった売主様の奥様は、お兄様や祖母をアメリカ軍の空爆で失い、それでも地を這いながら戦火かいくぐり、食べる物もなく究極の飢えと闘い、意識朦朧となりながら逃げ続けたそうです。
それでもついに昭和20年7月末にアメリカ軍の捕虜になり、絶望のまま終戦を迎えたとのこと。まさに死と隣り合わせ。ここで書くことを控えざるを得ないものまで食べて、飢えをしのいでいたとのことです。ここまで生々しい戦争体験のお話を聞いたのは初めてだったので、とても衝撃でした。
運よく戦争のないこの時代に、そしてこの国に生まれてきたこと。お腹いっぱい食べることができる飽食の時代に生きていること。当たり前のことだと思っていましたが、本当はとても運がよく、とても幸せなことだとつくづく思いました。
「沖縄はまだ戦後なんです。」、「あの時を思えば、どんな事でも耐えられる」
沖縄での壮絶な戦争を体験された売主様の奥様のお言葉には、もの凄い重みを感じました。